研究本部長からの一言

研究本部長からの一言

2.ゲノム創薬の考え方に基づいた感染症治療薬の探索
-最初にターゲットを決めてから開発する画期的な手法-

新規感染症治療薬開発のための新しい方法論の確立の必要性

 耐性菌による感染症を根本的に克服するためには、新たな抗生物質の発見が必要です。しかしながら、構造新規の抗生物質の発見には多大な労力と資金の投入が必要であり、きわめて難しいのが現状です。実際、この50年間で発見された抗菌治療薬の種類は、天然物由来か有機合成品かに関わらず、極めて限られています。したがって、新規抗菌治療薬の発見を実現するためには、これまでには全くなかった新しい方法論の確立が必要なのです。

抗菌治療薬探索に関する、従来のゲノム創薬の考え方と問題点

 この4半世紀の間、新規抗菌薬を発見するために、世界中でゲノム創薬の考え方に基づく抗菌薬の開発が試みられてきました。これは、細菌のゲノムに注目した創薬手法であり、ターゲットタンパク質を決めてそれに対する阻害剤を探索する方法です。しかしながら、以下に述べるように、この方法によっては、当初期待された成果を挙げることはできませんでした。一般に、抗菌薬のターゲットタンパク質は、菌の増殖に必須です。様々な手法により、病原菌の増殖に必須なタンパク質をコードする遺伝子の同定が世界中で多くの研究者により行われました。私たちも、製薬企業との共同研究により、1000を超える黄色ブドウ球菌の温度感受性変異株を分離して変異遺伝子を決めることにより、100個を超える数の黄色ブドウ球菌の増殖に必須な遺伝子を同定するという研究に従事しました。一般に細菌の増殖に必須な遺伝子は200個程度とされているので、私たちの研究により、黄色ブドウ球菌についておよそ半分の必須遺伝子を同定したことになります。同定された遺伝子にコードされたタンパク質は、リコンビナントタンパク質として大腸菌内で多量生産させ、それを精製して試験管内での活性測定系に供しました。ロボットによる大規模スクリーニング(High Throughput Screening, HTSと呼ばれる)により、数十万、場合によっては百万を超える数の化合物から、タンパク質の活性を阻害する物質が選別されました。この方法は私たちばかりでなく、世界中の多くの製薬企業が実行しました。当初から予想されたことですが、実際に選別された化合物のほとんどは、抗菌活性を示しませんでした。細菌の細胞膜を多くの化合物が透過しないことが主な理由です。選別された化合物の中には、抗菌活性を示すものも含まれていました。しかしながら、そのような化合物の抗菌活性のメカニズムを調べてみると、当初期待したタンパク質の活性を抑えるという証拠は得られなかったのです。抗菌化合物の活性のメカニズムを調べる方法にはいろいろあるのですが、最も一般的なのは、放射標識した前駆体を用いて細菌の高分子合成をモニタリングする方法です。チミジン、ウリジン、アミノ酸、及びN-アセチルグルコサミンが、それぞれDNA、RNA、タンパク質、及びペプチドグリカンの合成をモニターするのに使われます。実際に得られた結果の例を挙げると、DNA合成に必要なタンパク質の阻害剤を探索したにもかかわらず、選別された化合物は細菌のDNA合成を抑えることなく細菌の増殖を阻害する、ということが見いだされたのです。正直なところ、当時の私自身は、このような結果が得られるとは全く考えていませんでした。

抗菌薬の候補化合物のターゲットタンパク質を見いだすことの重要性

 上に述べたように、ターゲットタンパク質を決めてその阻害剤を見いだす、という方法では、特定のタンパク質をターゲットとする新規抗菌薬を発見するのはきわめて難しいのです。この問題を解決するためには、抗菌活性を示す化合物の抗菌メカニズムを検討することが必要であると私は考えています。開発前、あるいは開発途中の多数の候補となる抗菌化合物ひとつひとつについてターゲットタンパク質の同定ができれば、事実上最初にターゲットを決めて開発する、という最初に述べたゲノム創薬の狙いを実現できることになります。しかしながら、抗菌化合物のターゲットを決めることは、一般には簡単ではないとされているのです。私たちは最近、この問題を解決する新しい方法論を確立することに成功しました(特願2011-124011)。私たちは、新しく確立した方法が実際の抗菌薬の開発に利用できるかについて、製薬企業の協力を得て確認する作業を開始しています。今後の私たちの研究成果に注目していただければ幸いです。

2011年6月30日

第9回 自然食品のエビデンスを得るためのカイコの利用
第8回 抗菌活性を有する薬剤の標的たんぱく質の同定方法
第7回 カイコ創薬のすすめ
第6回 「ヒト」にあって「カイコ」に無いもの
第5回 効く薬と効かない薬
第4回 なぜカイコか?
第3回 体内動態指数
第2回 ゲノム創薬の考え方に基づいた感染症治療薬の探索
第1回 カイコシンの発見